自己満足でなくなるとき

先日のこと。

 

お撮りしたプロフィール写真についてお客さまから感想をいただけたのですが、なかなか普段はいただけないような感想を聞かせていただきました。

 

どんな感想をいただいたのかは技術的な話になってしまうので割愛しますが、僕が写真を始めてからずっとずっと追求してきたこと。それを、写真を観る側としてずばり見出してくださいました。とても嬉しかったです。

 

僕がずっと追求してきた内容というのは、写真をぱっと観ただけではあまり気付かないようなことです。つまり、フォトグラファーとしての僕の自己満足と言ってもいい内容で、写真を観て下さる方に気付いてもらうことをモチベーションにはしていなかった。そして例え誰にも気付いてもらえなくても永遠に追求しつづけたいと、そう思って腕を磨き続けてきたようなことです。うまく書けないのですが、ご依頼をくださった方に喜んでもらうということとはまた別軸の、自分が真に極めたいと思う技の追求。そんな位置付けのものです。

 

そうした自分の自己満足と言えるものを、今回、僕の写真の良さとして感想を聞かせてくださったこと、とても嬉しかったです。独りよがりで追求してきたこと。それがどこかのタイミングから、写真を観てくださる方に自然と伝わる何かにまで昇華しつつあるのかもしれません。もしそうだとしたら、これほど嬉しいことはありません。

 

 

例え人目に触れないということが分かっていても追求しつづけたい。そんな創り手としての誇りといえるものについて、僕が大切にしている逸話があります。

 

かの有名なサグラダ・ファミリア。
誰もが一度は写真や映像で目にしたことがあるかと思いますが、現地に住んでいる人でさえ、それぞれの彫刻の背面はその角度からして観ることができません。

 

このことについて、ある人が彫刻家にこう問いかけたそうです。

 

「誰も観ることができない部分にまで、なぜ精巧な創りを追求するのか?」と。

 

彫刻家はこう応えたそうです。

 

「神々が観ている。」と。

 

 

神々が観ているなんて、そんな崇高な考えは僕にはありません。でも、少なくとも自分が真に追求したいと思える表現から目を逸らしたくない。真摯に向き合っていたい。どんな境遇のときも。それがフォトグラファーとしての僕の一掴みの誇りです。

 

そうした想いが、今回、少なくとも一人の人には届いたということ。そして、一人の向こう側には、きっと十人、百人の人がいてくれるはずだということ。

 

そう信じで、また一つ、また一つと技に磨きをかけていきたいと思います。そうした積み重ねが、やがては写真に自然と滲み出てくるものだと信じたい。

 

自分の写真を自分で見ても、もう自分ではその良し悪しは分かりません。良いものを創っているはずだと、そう信じるしかありません。

 

頑張ります。

 

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向かっている時

秋。

 

過ごしやすいこれからの季節は、毎年いろいろなご相談をいただきます。

 

多くの撮影がご相談をいただいてから1〜2ヶ月後くらいに当日を迎えるのですが、僕にとっては当日までの日々が最も尊い。

 

ご相談をくださった方との事前の細かいやりとり。

どんな写真をお撮りしようかとあれこれ思案する時間。

どの機材を使おうかと悩む時間。

 

撮影当日を迎えるまでの日々の中にこそ、程よい緊張感と高揚感が入り混じった、気持ちがもっとも充実した時間が訪れます。

 

撮影当日は、シャッターを切る度に、充実した時間の終わりが近づいていることを感じます。1枚、また1枚と形になっていくとともに。

 

撮影が終わった後は、やり切った充足感はあるものの、終わってしまった寂しさのほうが圧倒的に大きい。そして気持ちは次の撮影に向かい、また気持ちが高まっていく。

 

一つ終えては、また次。また一つ終えては、そのまた次。ずっとずっとこの繰り返しなのでしょう。

 

この秋も沢山の一期一会に恵まれますように。

どうぞよろしくお願い致します。

 

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中身で勝負。中身が全て。

写真を初めて5年目の今年。当初から目指していた自分の写真の理想像はまだまだ遙か遠くにありますが、近頃やっと実を結びつつあることがあります。

 

それは、自分の名前を伏せていても、僕がお撮りした写真だと気付いていただけるようになりつつあるということです。とても有り難いことです。

 

写真を始めた当初から、僕は「クレジット(著作権表記)無しで勝負したい」と強く思い続けてきました。

 

写真を生業としている方の写真には、多くの場合、photo by 〜とか、©マークが付いています。クリエイターとしての権利を守るための大切な表記です。取り決め上、必ず記載しなければならないというケースも多いでしょう。なので、クレジットを入れること自体を否定するわけでは決してありません。

 

しかし、制作者の名前の表記を入れるということは、裏を返せば、名前が書かれていなければ制作者が誰なのか分からないということの査証。それはつまり、中身で勝負することを避け、名前だけを売り出そうとしているのではないか...生意気な考えかもしれませんが、素人だった当時の僕はそう思わずにはいられませんでした。クレジットを入れることの意味や大切さを理解しつつも、今でもこの考えは変わっていません。

 

例えば、僕には大好きなフォトグラファーがいます。その方の未発表の作品を見れば、もしクレジットが無かったとしても、その方の写真だと必ず気付くことができるでしょう。写真に限らず、絵画、映画、漫画、イラスト、小説、音楽、歌など、あらゆる創作物について言えることです。また、身体的な動きについても同じことが言えると思います。例えば好きなサッカー選手やダンサーさんであれば、アバター化されたとしても、それが誰の動きなのかを気付くことができるでしょう。

 

自分の写真もこうした次元にまで高めたい。高めなくては意味がない。自分にしか撮れないもの、自分にしか表現できないものを体得しなければ先は無い。ずっとそう思い続けてきました。だからこそ、お客様にも常に「クレジットは不要です。」、「規約や規制は一切ないので、ぜひ自由に使ってください。」とお伝えするようにしてきました。

 

こうした意図が少しづつ実を結んでか、最近は、「この写真ってなんか広瀬君っぽいよね」、「これってもしや広瀬くんが撮った写真?」といったお言葉をちらほらとではありますがいただけるようになってきました。

 

 

ご依頼をくださった方に喜んでいただくことができれば、そして、写真を見てくださる方が、それぞれの方の感性で写真を通じて何かを感じていただくことができれば、それで十分。そしてそれが全て。僕の名前などはどうでもよいことなのです。

 

写っているものが全て。そこに撮り手である自分の名前を入れるということは、写ってくださった方のお顔に足を乗っけるようなもの。僕にはどうしてもそう感じずにはいられません。

 

この先もずっと、そこに写っているものそれだけで勝負したい。

頑張ります。

  

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近況

こんばんは。

 

先日のとある撮影で、本当に久しぶりに写真に好評をいただくことができました。

 

前回好評をいただけたのがいつだったのかをもう覚えていないくらい、それくらい本当に久しぶりのことでした。なので嬉しかったのはもちろんですが、とてもほっとしました。ふぅっと大きく息を吐いて胸を撫で下ろした自分がいました。

 

まだまだ荒削りな撮影技術。ご相談をくださった方をがっかりさせてしまうことも少なくありません。それでも、またこれからも一つ一つ信頼を築いていけるように努力と工夫を積み重ねていきたいと思います。

 

一つ一つ。

一枚一枚。

 

頑張りたいです。

頑張らなくてはいけないです。

半歩でも、引き返しても、別の道を探しても

先日、ある女性(以下Kさん)から相談を受けました。

 

なかなか自分に自信を持てずにいて、でもそんな自分を少しでも変えたくて、挑戦してみたいと思っていることがあるとのこと。でも、どうしても一歩が踏み出せず、失敗してさらに自信を失ってしまうのが怖い。そう悩みを打ち明けてくれました。

 

こうした悩みを抱えている人は、決して少なくないでしょう。そしてこれは僕の個人的な肌感ですが、残念ながら日本人はチャレンジをする人に対してとても冷たい。チャレンジする人を褒めない。むしろ貶すことすらある。(僕の本当に初期の頃の活動を支えてくださったのは、多くが外国の方達でした)

 

「いい歳して夢を見ちゃってる」、「現実が見えていない」、「早く身を固めたら?」。僕自身も、こうした言葉をかけられることに苦しめられた時期がありました。写真を頑張ってみようと思うんだと人に言えなかった時期でもあります。もちろん今は気になりません。でも人によっては、周囲からの冷たい反応に晒され、始めの一歩が踏み出せずに悩んでいる人も少なくないでしょう。何かに挑戦しようとしている人の心を挫く冷たい言葉達。そうした言葉を投げつけるのはとても罪深いことだと僕は思います。

 

悩みを打ち明けてくれたKさんも、周りからの反応が冷たくて、もう誰にも相談できずにいたとのこと。何かに挑戦したいという気持ちが芽生えたことはとても尊いこと。それが周囲からの冷たい反応で潰されてしまうのは悲しすぎます。


思いつめた様子のKさん。僕は慎重に慎重に一つ一つ言葉を選びました。

 

「…一歩を踏み出すのが怖いなら、例えば半歩だけ踏み出してみるのはどう?もし半歩だけ踏み出してみて、「もっとやってみようかな」と思えたら今度こそ一歩を踏み出せばいい。もしも「やっぱり難しいな」と感じたら、今いる場所に引き返したっていい。別の道を探したっていい。諦めることは全然恥ずかしいことじゃないよ。むしろ胸を張っていいことだと思う。どうかな?」

 

Kさん、よほど一人で抱え込んでいたのか、涙をにじませながら僕の言葉を聞いてくれていました。

 

 


何かに挑戦してみたい。でも周囲の反応が怖くて一歩を踏み出せない。そうした人にもし出会ったとしたら、僕は「いいね」って言ってあげたい。背中を押してあげたい。SNSでまるでbotのように機械的に押される「いいね」とは違う、相手の人生を応援してあげられるような、そんな言葉をかけてあげたい。どんなにささやかな挑戦であったとしても。僕自身も、そうした言葉に幾度となく助けられたから。そして何かに挑戦することの尊さとつきまとう葛藤を苦しいくらいに分かるから。そんなふうに思います。

 

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突然の優しい言葉

こんばんは。

 

先日、夜遅くまでバタバタと慌ただしく作業をこなしていたら、声を掛けて下さった方がいました。少し前に知り合った方なのですが、

 

「成果を焦っちゃダメだよ。まだまだこれからじゃない。」

 

と。僕の心の内は完全に見透かされていたようです。

 

焦ってはいけない。焦っても意味がない。そう頭では分かっていても、なかなか成果を出せずにいることに強い焦りがつきまとう。それが空回りし、また成果が遠のき、さらなる焦りを生むという悪循環。

 

そんな状況の中、夜遅くの静まりかえった中での突然の優しい言葉。乾ききってしまっていた気持ちに、透き通った水がすっと染み込んでいくような、そんな感じがしました。

 

「そうだね。そうだよね。ありがとう。」

 

そう返した僕の言葉は、本心からのものでした。

 

何らかの成果を出すまでには時間がかかる。けれども、評価を待ってはもらえず、一瞬のうちに下されてしまう。どんなことについても言える当たり前のことなのかもしれません。でもそんな中で、「周りの評価を気にしちゃダメだよ。時間はかかるものだよ。」と優しい言葉を掛けてもらえたことに、少し救われた気がしました。冷静な自分を取り戻せたように思います。

 

冷静に。着実に。

一歩一歩進んでいけたらと思います。

 

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コンプレックスは人を魅力的にするよね

一期一会で色々な方とお会いする中で感じるようになったことがあります。

 

それは、何かとても苦しい過去や、辛い経験をしたことがある方の言葉や姿勢は、自然と人の心を打つということ。幸か不幸か、コンプレックスは人を魅力的にするということ。

 

でも、コンプレックスがあるというのは何ら特別なことではなくて、きっと誰しもが1つや2つ抱えているものだとも思います。コンプレックスなんて無いという人のほうが稀でしょう。どんなに距離が近い人にもなかなか打ち明けられない秘密のようなもの。どれだけ毎日を明るく元気に過ごしているように見える人でも、何かを抱え、でもそんなことを微塵も感じさせないように明るく振る舞っている。そうした振る舞いができるようになるということが、大人になるということなのかも知れません。

 

僕にも、決して人には言えないような、脆く弱い部分が2、3あります。でも、長い年月と色々なきっかけを経て、いつしかそれらも自分を成り立たせる一部分なのだと自然と思えるようになりました。克服は難しそうですが、受け入れられるくらいにはなったようです。そして、自分の中の脆く弱い部分が、写真という表現に形を変え、フォトグラファーとしての活動を支えてくれる大切な要素になっている。自分が撮影した写真を自分で見てみると、自分のコンプレックスが良い形となって宿ってくれていると感じています。性格をよく表している。そう思うと、自分の弱点ですら、愛おしいものに思えてきます。愛おしいと思えるからこそ、自信にもつながった。どこかのタイミングで、僕もまた大人の条件を一つ満たすことができたのかもしれません。

 

想像でしかありませんが、自分の周りの魅力あふれる方たちも、もしかしたら何かを抱え、それが形を変えてその人の魅力となっているのかもしれません。

 

 

コンプレックスが魅力に変わる。図らずも。幸か不幸か。

 

でも一方で、長い年月を経ても、どれだけ色々なことを試みても、コンプレックスに強く苛まれながらの生活がずっとずっと続いてしまっている人も、世の中にはきっと多くいるのだと思います。

 

もしできることならば、自分の写真を通じてそうした方たちにも何か小さなきっかけをお渡しできたら...おこがましい考えかもしれませんが、いつかやってみたい活動の一つです。