いつかじゃなくて(前編)

高校時代のこと。僕は男子校に通っていました。(埼玉出身なのですが、何故か埼玉県は男子校・女子校が多い。)男子校ということもあってか、運動系の部活動がものすごく盛んで、インターハイ常連の部活が多い学校でした。僕はバスケ部だったのですが、僕が3年生の時に初めてインターハイに出て以降、長きに渡り常連校となったようです。そもそもその学校を受験しようと思ったのも、バスケ部が強いから、という理由でした。(僕自身は最後までレギュラー入りすることはできなかったのだけれど。)

 

そんなアスリート系の生徒も多く集まる学校だったので、体育の授業も本気でした。先生も、そして僕ら生徒も。そんな体育の授業の中でも、僕が毎年もっとも集中力を高めて、本気中の本気で臨んでいたのが1,500m走。毎年の春に、おそらくどの学校でも実施される体力測定(スポーツテスト)の中の、あの心臓破りの種目です。

 

僕の学校では、体力測定の中でも何故か1,500m走にだけ独自のルールが敷かれていました。それは、「クラスの平均タイムが同学年男子の全国平均マイナス30秒(空覚えだけど確か)を切るまで終わらない」というもの。クラスによっては2、3回で終えられるクラスもあれば、10回以上やっても終わらないクラスもありました。クラスの平均が特定のタイムを上回らないといけないので、スタミナ自慢の生徒も、そうでない生徒も、一人ひとりのタイムの向上が必須でした。頑張れば頑張っただけタイムが縮むのは、分かりやすくてやりがいを感じていたので、僕も毎回相当な集中力で臨んでいました(その日の以降の授業はもちろんぐっすり)。

 

思い出深いのは、2年生の時の1,500m走。1年生の時以上に、毎回タイムが縮まるのが楽しくて、「クラスの平均がクラスの目標タイムを上回ってしまう(つまり次のカリキュラムに移ってしまう)前に、もっと個人タイムを縮めたい」と毎回意気込んでいました。

 

一般的に心肺機能は短期間で集中的に高められるものなので、僕も回を重ねるごとにグングンタイムを伸ばしていったのですが...ある時を境に伸ばせなくなりました。歯を食いしばって毎回頑張ってはいる。けど伸びない。ちょっとした壁にぶつかった感じでした。

 

僕は陸上競技については全く知識がなかったので、頑張るといっても、本当にただただ苦しくても頑張っているだけでした。つまり作戦や戦略がなかった。タイムが伸びなくなって、「ただ頑張るだけじゃなくて、何かコツだとか、しっかりとした作戦を立てなきゃダメだ」と感じた僕は、僕よりも速い同期にアドバイスを求めるようになりました。

 

色々な人から色々なアドバイスをもらう。その中でも、もっとも僕のタイムを伸ばしてくれたアドバイスをくれたのが、同じバスケ部でいつも一緒に頑張っていた同期の友人でした。

 

彼はバスケの実力も体格も僕と近かったので、練習でも試合でも、よくペアを組んでいました。二人ともウィンガー的なポジション(スラムダンクで言うところの流川や三井のポジション)だったので、僕が右サイドを走れば彼が左を、彼が右なら僕が左を。「はじめ俺右ね」「じゃ俺左」。「今日俺基本左やらせて」「じゃ俺右」。試合前にそんな言葉を交わす間柄でした。特に仲が良かったわけではない(ライバルだったので)のですが、常に逆サイドにいるお互いでアイコンタクトを取り合い、交わす言葉は少なかったのですが息はぴったりでした。

 

チームを引っ張るリーダーシップや、周囲への影響力なども含めての総合的な実力は僕のほうが上(ちょっとだけね)だったのですが、身体能力は彼のほうが明らかに上。1,500m走も僕よりもはるかに速かった。

 

そんな彼がくれたアドバイスというのが、

 

「はじめからスパートをかけないと間に合わない」

 

というものでした。

 

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下絵でも

僕の部屋にはフレームに入れたポストカードが並んでいます。絵画展に足を運ぶのが大好きで、観終えたあとのお土産コーナーでその日に観た中で特に印象に残った絵のポストカードを購入。そしてそれを写真用のフレーム(無印で購入)に入れて部屋に飾っています。ちょっとした趣味みたいなもので、全部でざっと50枚くらい。今ではもう飾れるスペースが尽きてしまい、買うことはできなくなってしまったのだけれど。

 

どれも自分が強い印象を受けて選んだものなので、どの一枚もずっと眺めていることができます。ただその中でも、「自分の写真もこの領域にまで高めないとな」と強く思わせてくれる作品があります。それはミュシャの『四つの星』という4枚の絵からなる連作。「宵の明星」「暁の明星」「月」「北極星」の4つの星を、女性と花に見立てて描いた装飾パネル状の作品です。(ちなみに春にあったミュシャ展は忙しくてついに行けなかった…)

 

この作品がなぜ僕の創作意欲を掻き立てるのかというと…僕の部屋に飾ってあるポストカードは、『四つの星』の下絵、つまり下書きで描いた絵のものだからです。

 

 

真の表現力を持つ人の作品は、その下書きですら人の心を動かす。そしてそこまでの表現力を会得するまでの果てしないように思える過程を想像すると、下絵ですら、とても尊い作品なのだということを感じずにはいられません。創り手がこれまでの人生で掛けてきた膨大な時間が、1つ1つの作品の、その下絵にまで込められている。作品を観る人の側にとっては関係のない話かもしれませんが、創り手の創作に掛ける情熱を想うと、むしろ下絵にこそ、僕は愛着とそして共感を覚えます。

 

写真においては、試し撮りでパパっと取りあえず撮ってみたというものが、絵画における下絵と似たような位置づけのものかなと思います。そうした下絵写真も含めて、何十枚、何百枚と撮った中での数枚だけを、自分の作品としてこれまでお届けし続けてきました。しかし、たとえ下絵写真であったとしても、誰かの心を動かすものにしなければいけない。部屋の片隅の『四つの星』の下絵を眺めていると、そう強く思わせてくれます。

 

例え下絵でも誰かの心を動かしたい。

引き続き自分の表現を問い続けます。

 

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2020夏

東京オリンピック&パラリンピックまで今日であと1,000日だそう。

 

全世界から多くの人々がここ日本に訪れる三年後の夏。それは自分にとっても千載一遇のチャンスと捉えています。自分の写真を世界中の人に知ってもらえるまたとない絶好の機会だからです。

 

2020年の夏は、道行く世界各国からの人たちにひたすら声をかけ、スナップを撮らせてもらおうと考えています。それはもうひたすらに、ひたすらに。そしてその過程で選手や海外からの取材クルーにも出会えたらさらに嬉しいなと。

 

肌感覚でいうと、僕の写真はヨーロッパ圏とアジア圏の人たちの心に刺さるようで、そうした人達に沢山出会えたらと思うのですが、一方で、一度も言葉を交わしたことのない地域や民族の人とも出会えたらなと考えてます。五大陸・七つの海からの人達との出会いを想像すると、今からゾクゾクしてきます。

 

 

あと三年。あと三年の間に、「トーキョーにちょっと面白いフォトグラファーがいる」という火種を 、海の向こうの人達の間に作り出すことがもしできれば、僕にとって2020の夏は気温以上に熱い熱いものとなるでしょう。

 

そして。

 

火種を作るためのこれからの三年間。
力を貸してくださる方を探しています。

 

僕自身を撮ってくださる方。
僕自身を描いてくださる方。
僕自身をデザインしてくださる方。
アジア圏の言語を教えてくださる方。

 

そして、僕の写真に写ってくださる方を。

 

僕は人よりも写真を撮ることに長けています。特に、人物撮影の中でも、特定の表現方法に持てるチップをAll-inしています。それは、日本国内だけに限って言えば、おそらく僕だけが採用している僕にしかできない表現です(その分、チップを一枚も入れていない表現については全然なのだけれど)。だから、力を貸してくださった方には、必ずや、写真という形でお返しします。

 


一つ一つのめぐり合わせをもっともっと大事に大切にするんだと自分に誓って。

 

秋雨の週末に。

 

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抑えの効いた技を

今年の年明け1月のこと。

 

ストリートスナップに特化して追求してきた自分だけの表現。どうにか体得しようと4年間追い求めてきた表現を、やっと自分の技として手懐けることができるようなりました。

 

それまでは、自分の理想の表現に対して、当たらずとも遠からずといった状態が長く続いていました。しかし、自分が技を使いこなしているというよりも、技に自分が振り回されている状態であったことは否めなかった。

 

技に溺れてはいない。技に本質は宿らないということも心得ている。けれども如何せんうまく制御できていない。例えるならば、手綱は引いているけどうまく乗りこなせていない。弾を放つことはできるけれども、反動で自分も後ろに吹っ飛ぶ。ドライブのかかったシュートを放つことはできるけど、枠に収まらない。切れ味の良い刀を携えているけれど、それを収める鞘が無い。そんな感じでした。

 

しかし、会得しようとずっと追求してきた技を、ついに自分で制御できるようになったのが1月のとある日のとある瞬間。欧米人がするようなガッツポーズを独り何度も何度も繰り返しました(笑)。自分の意のままに、自分の理想の表現ができる。抑えの効いた完成度の高さ。それを実現できるようになりました。今では手綱をうまく扱える。弾を放っても、反動で身体がブレることも無い。枠内に収まるシュートを打てる。そして...刀はしっかりと鞘に収まっている。そんな感じです。

  

−−「本当に良い刀は鞘に入っているものですよ」

 

中村玉緒さんの本質を捉えた名台詞。僕がずっとずっと大切にしている言葉です。

 

 

これまで掲げてきた自分の理想に自分の技術が追いついてきた今。自分にとってのまた別の新しい表現がどこにあるのかを、これからまた時間をかけて探しにいこうと思う今日このごろです。「きっとこれだな」という予感はあるものの、まだ足を踏み入れることはできていません。また一歩一歩、地道に取り組んでいこうと考えています。

 

 

ストリートスナップのベストシーズンは夏。

今年の夏は、会得した技を取り入れての初めての夏となりました。

 

そんな夏の写真達。お送りできるよう、現在準備を進めています。もうしばらく先のこととなってしまうかと思いますが、どうぞ楽しみにしていてください。観る人それぞれに、それぞれの方の感性と感受性で何かを感じていただけるものとなれば幸いです。

 

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中身で勝負。中身が全て。

写真を初めて5年目の今年。当初から目指していた自分の写真の理想像はまだまだ遙か遠くにありますが、近頃やっと実を結びつつあることがあります。

 

それは、自分の名前を伏せていても、僕がお撮りした写真だと気付いていただけるようになりつつあるということです。

 

写真を始めた当初から、僕は「クレジット(著作権表記)無しで勝負したい」と強く思い続けてきました。

 

写真を生業としている方の写真には、多くの場合、photo by 〜とか、©マークが付いています。表現する者の権利を守るための大切な表記です。取り決め上、必ず記載しなければならないというケースも多いでしょう。なので、クレジットを入れること自体を否定するわけでは決してありません。

 

しかし、制作者の名前の表記を入れるということは、裏を返せば、名前が書かれていなければ制作者が誰なのか分からないということの査証。それはつまり、中身で勝負することを避け、名前だけを売り出そうとしているのではないか...生意気な考えかもしれませんが、素人だった当時の僕はそう思わずにはいられませんでした。クレジットを入れることの意味や大切さを理解しつつも、今でもこの考えは変わっていません。

 

例えば、僕には大好きなフォトグラファーがいます。その方の未発表の作品を見れば、もしクレジットが無かったとしても、その方の写真だと必ず気付くことができるでしょう。写真に限らず、絵画、映画、漫画、イラスト、小説、音楽、歌など、あらゆる創作物について言えることです。また、身体的な動きについても同じことが言えると思います。例えば好きなサッカー選手やダンサーさんであれば、アバター化されたとしても、それが誰の動きなのかを気付くことができるでしょう。

 

自分の写真もこうした次元にまで高めたい。高めなくては意味がない。自分にしか撮れないもの、自分にしか表現できないものを体得しなければ先は無い。ずっとそう思い続けてきました。だからこそ、お客様にも常に「クレジットは不要です。」、「規約や規制は一切ないので、ぜひ自由に使ってください。」とお伝えするようにしてきました。

 

こうした意図が少しづつ実を結んでか、最近は、「この写真ってなんか広瀬君っぽいよね」、「これってもしや広瀬くんが撮った写真?」といったお言葉をちらほらとではありますがいただけるようになってきました。

 

 

ご依頼をくださった方に喜んでいただくことができれば、そして、写真を見てくださる方が、それぞれの方の感性で写真を通じて何かを感じていただくことができれば、それで十分。そしてそれが全て。僕の名前などはどうでもよいことなのです。

 

写っているものが全て。そこに撮り手である自分の名前を入れるということは、写ってくださった方のお顔に足を乗っけるようなもの。僕にはどうしてもそう感じずにはいられません。

 

この先もずっと、そこに写っているものそれだけで勝負したいです。

  

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タイトル決め

最近、色々と必要に迫られて、日本語の単語を外国語にすると何と言うのかを頻繁に調べていました。これが僕にとってはかなり面白い作業です。

 

僕は語学が好きで、ペラペラ話せるほどでは全然ないのですが、英語とフランス語を学生時代にかなり頑張って勉強しました。両親が英語がネイティブレベル(特に母はネイティブよりも上手い)で、他のいくつかの言語も多少は話せるというほどの語学好き。そんな両親の影響を受けているのかもしれません。

 

僕は特に単語や言い回しを知るのが好きで、そこから日本とは異なる価値観や文化を伺い知ることに面白さを感じます。洋画を観るときも、実際に使われている言葉と日本語の字幕を比べて、その表現の仕方の違いを知るのが楽しかったり。

 

そんな語学好きな僕が特に好きな言葉がいくつかあります。少しだけご紹介。

 

 

"one and only"

英語で"唯一の存在"という意味ですね。個人的には、英語は最上級のものを表現することに長けていると感じます。特に時系列の中での最上級のものについての表現がシンプルだけど凄くカッコいいものばかり(例えばeverという文字が含まれている単語や表現など)。

 


"passione"

イタリア語で"情熱"の意。パッションのイタリア語版です。読み方はパッショーネ。響きが素敵ですよね。単に熱いだけではなく、その響きからは誇り高さと気品を感じます。

 


"bleu"

フランス語で"青"の意。フランス語はあらゆる単語の響きが美しいですが、僕は特に色にまつわる単語が好きです。noir、blanc、rougeなどなど、どれも響きが素敵です。

ちなみに日本では栗のケーキとしてお馴染みのモンブランは、フランス語で"白い山"の意(montが山、blancが白)。また、サッカーのフランス代表は、ユニフォームの色にちなんで レ・ブルー(Les Bleus)、つまりThe Bluesという愛称があります。

 


"ウォーアイニー"

中国語です。僕が小さかった頃、すごく好きだった歌があったのですが、その中に歌詞として出てきた言葉です。意味も知らないままにその優しい響きが好きになったのですが、なぜかずっと意味を調べないまま何年も経ってしまいました。後年、ふとしたきっかけで意味を知ることになり、その優しい響きにとても納得しました。
我愛你。漢字で書くと意味がすぐにわかりますね。

 

 

最近特に頭を悩ませながらあれこれと考えていたのが、写真作品のシリーズ名です。僕の場合、1枚1枚の写真にタイトルを付けることはありませんが、シリーズにはタイトルをつけるようにしています。考えていたのは、今夏の終わり頃に予定している作品撮りのシリーズ名。↓のエントリーで触れた撮影のタイトルです。

 

最後のピース

 

小さな撹乱

 

タイトル決めは本当に難しい。意味を込めようとしすぎてしまうと、逆に写真を観てくださる方の自由な想像を妨げるものになってしまう。かといってシンプルなものにしようとするとありふれたものになってしまう。散々頭で考えても、結局最後の判断は、感覚的な部分に頼ることになったり。タイトル決めは色々と学びのある作業です。

 

そんなタイトル。良いのが一つ、見つかりました。写真とともに、観てくださる方に何かを感じていただけるものとなれば幸いです。

 

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小さな撹乱

先日、夏の終わり頃に予定している作品撮りの練習をしてきました。以前の↓のエントリーで触れた撮影の練習です。

 

最後のピース

 

本番で使おうと思っている場所の下見。そして使おうと思っている機材のテスト。唯一本番と異なるのは、写っているモデルさんが違うだけ。今回は友達にお願いして、「どこにも公開しない」という約束のもとで練習台になってもらいました。

 

振り返ると、練習という位置付けで写真を撮ったのは今回が初めてかもしれません。それは決して僕が練習嫌いというわけでありません。「どこかの誰かが必ず見てくれるはず」。どんな写真を撮るときも僕はそう信じてシャッターを切っています。だからこそ、誰の目にも触れないことが始めから決まっていた今回の撮影は、少し不思議な感じがしました。

 

しかし今回の練習は、もちろん、本番で良い写真を撮るためのもの。改善点がいくつも見つかり、収穫の多い練習となりました。もうあと1回くらい練習の撮影を設けて、本番に備えたいと思います。

 

 

今回のような、いただいたお仕事ではない写真を撮っていると、良く、「何でそんなことをやってるの?」「そんなことをやって何にかになるの?」と聞かれます。中には、「意味あるの?」とストレートに言葉をぶつけてくる人も。

 

こうした言葉をかけられることは、写真を始めてからというもの日常茶飯事なので、いつも適当にはぐらかして終わるのですが、特に理由なんてありません。ただ撮りたいから撮る。それだけです。

 

そして活動(事業)という視点にもとづけば、確実に言えることがあります。それは、何らかの成果に繋がるまでには時間がかかるということ。

 

 

僕には目標にしているあるフォトグラファーがいます。独自の世界観で多くの作品を手掛ける凄腕のフォトグラファーで、彼が新しい作品をSNSにアップすると、世界中から多くの反応がよせられます。僕自身も、彼のSNSが更新されるのをいつも心待ちにしている一人です。

 

しかし、彼の初期の頃の作品ページを見ると、ほとんど観てくれる人がいない状態だったことが伺えます。作品のクオリティも、本当に駆け出しの頃だったことが見て取れる。でも、根底に流れる彼の感性は、多くのファンを抱える今とまったく変わっていない。初期の頃から一貫した想いがあって活動していたことが写真を通じて伝わってきます。そして、彼の想いに技術が追いついてきた頃を境に、彼の写真に魅せられた人が国境を跨いで増えていったことが分かります。そうした状態になるまで、数年の歳月を要したようです。

 

「これほどまでに凄いフォトグラファーでも、長い長い下積みの時代があったんだな」。彼の初期の作品を見る度に、そんなことを思わせてくれます。

 

洗練された彼の今の作品も、誰の目にも留まっていなかった初期の作品も、どちらも僕は大好きです。

 

 

秋に予定してる作品制作。

それを無事に撮り終えることができたとしても、それがすぐに何かに繋がるということはおそらく無いでしょう。

 

でも、たとえどんなに小さな動きであったとしても、それが小さなうねりのようなものを生み出し、それがめぐりにめぐって、やがては形のある何かになって自分のもとに帰ってきてくれる。僕はそう固く信じています。精神論ではなく、これまで活動を続けてきた中で、経験を通じて理解した教訓です。「あの時のあの一枚」。それがきっかけとなり、新しいチャンスをいただけたことがこれまで何度もありました。振り返れば、むしろそうしたことがほとんどだったように思います。

 

何が起きるかなんて分からない。誰にも、自分にも。そして、この先誰がいつどこで自分の写真を見てくれることになるかも分からない。そんな中で今の自分にできることは、小さなうねりを起こし続けること。それ以外に無いように思います。

 

そしてこの先のどこかで、自分の写真に興味を持って下さった方が目の前に現れてくれた時に、自分の世界観を投影した作品をすぐに見ていただける状態にしておきたい。いつだって刀は抜けるということを、気に留めて下さった方に伝えられるかどうか。とても大切なことです。

 

先を見据えつつ、今の自分にできることをひとつひとつ積み重ねていきたいと思います。

 

teaser shot

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