表現するということ

何かを表現しようとすれば、批判を受けることは絶対に避けては通れない。

 

何かを表現するということは、自分の立ち位置を明確にするということだと思う。

 

「自分はこう思う」という考えを表現を通じて世の中に発信し、「こんな世の中にしてきたい」という想いを表現に乗せて人に伝えていく。

 

だから、何かを表現しようとすれば、自分とは価値観が異なる人からの批判は避けては通れない。絶対に。悪いことじゃなくて、それは極々自然なこと。

 

「自分はこう思う」と表現を通じて自分の価値観を発信すれば、返ってくる反応の中には、「いや、それは違う。」という反対意見が必ず存在する。

 

表現するということは、自分のポジションを取るということ。だから全て人から賛同を得ることなんて不可能だし、そもそもそうする意味も、必要もない。

 

逆に言えば、自分の表現について、誰からの批判も無いというのは、そもそも何も表現できていないということなのだと思います。相手に何も伝えることができていないということ。相手に何も届いていないということ。当たり障りのない程度のものでしかないということ。

 

批判が来るようになって初めて、自分は確かに相手に何かを伝えることができている。僕はそんなふうに考えています。

 

批判を恐れないこと。自然なことだと捉えること。それがとても大切だと思います。

 

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局地戦

新しい何かに挑戦しようとすれば、自分よりも先行している人達が星の数ほどいる。世代的に、あるいは年齢的に後発な中で挑戦するのであればなおさらだ。

 

自分よりも何倍も、何十倍も大きな存在の人達がゴロゴロいる。そうした中で、何とか自分の存在価値を示していかなければいけない。

 

そんな状況であるならば、正攻法ではまず太刀打ちできない。正攻法での戦いができるのは、既に圧倒的な存在価値を確立している王者だけだ。もし自分が頂点に君臨する存在であるならば、どっしり構えて王者の戦い方をすれば良いのかもしれない。でも、自分がまだまだ小さな存在であるならば、「これならば絶対に負けない。」「これなら勝てる。」というポイントを探っていかなければいけない。つまり局地戦だ。

 

でも、そんな局地は当たり前だけど簡単には見つからない。簡単に見つかるようであれば、誰でもすぐに一流になれてしまう。

 

これなら勝てるというポイントを探る道のりは果てしない。これでもない、あれでもない、と一つ一つ試していくしかない。毎回少しづつ、時には大胆にやり方を変えながら、自分だけの局地を探し当てなければならない。

 

こうして自分だけの局地戦を何とか見出そうとする人のことを、「迷走している」「軸がブレている」「自分が無い」と評する人がいる。しかし一方で、「試行錯誤している」「変化している」という言葉を選ぶ人もいる。前者は、変化を恐れる人達、物事にゼロから挑戦したことが無い人達が選ぶ言葉だ。一方で後者は、新しい物事に挑戦するということが、そもそもどういうことなのか、その本質を心得ている人達が選ぶ言葉だ。

 

もしあなたの日々の行動・言動・立ち居振る舞いを見て、「迷走している」「軸がブレている」「自分が無い」と誰かに言われたら、自信を持っていいと思う。胸を張っていいと思う。なぜなら、あなたが試行錯誤を繰り返し、ここなら勝てるというポイントを探り当てようと挑戦を続けている証拠なのだから。もし「安定している」「安心感がある」と誰かに言われたら、ちょっと危険信号かもしれない。変化をしていない証拠だからだ。

 

例え周囲に「迷走している」と言われようとも、「軸がブレている」と言われようとも、ここなら勝てるというポイントを探り続け、そうした局地を一つまた一つと増やしていくことができたら、自分でも気付かないうちに、唯一無二の存在に近づいていると思う。

 

挑戦の本質は変化だ。僕は固くそう信じています。

そして誰しもが始めは局地戦からだ。

迷走を繰り返していくなかで、段々と自分だけの戦い方が見えてくる。

新しいことに挑戦するって、そういうことなんじゃないかと思います。

 

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時代を写す

誰かと移動中などに雑談をしていると「テレビは見ますか?」という話題になることがある。僕は録画しておいたのを週末によく観てる。観る番組ははっきりしてて、紀行ものや野生動物もの。例えば『世界ふしぎ発見』、毎週楽しみにしてます。

 

「テレビはオワコンだ」という声もよく聞くけど、そんなことは無くて、しっかり選べば良い番組は本当に良い。紀行ものや野生動物ものの番組は海外ロケも多いから、制作もきっと大変だろうと思うけど、制作者の旅先の人々・文化・自然に対する愛情が感じられて、見応えのある番組が多いのだ。

 

そして野生動物ものの番組を見ていると、毎回と言っていいほど同じ感想を抱く。適者生存ということだ。

 

良く自然界の掟として弱肉強食という言葉が用いられる。僕らの社会を表す際にも、強いものこそが勝ち残るという意味で用いられることが多い。もちろん間違ってはいないと思うけど、本質的ではない。弱肉強食が成り立つのは、狭い世界の中でのみ、そして極々短い期間でのみだということはあまり語られない。短い期間、つまり、環境が変化しないほどの短期間ということだ。

 

しかし、環境は目まぐるしく変化する。野生動物ものの番組を見ていると、強いものが生き残るのではなく、本質的には、自然環境の変化に対して適応できたものだけが生き残るのだということを強く思い知らされる。例え生態系の頂点に立つような強さを誇ったとしても、変化に適応できなければ、あえなく滅んでしまうのだ。柔軟に自らを変えることができた者が生き残る。本質的な生命力というのは、強さではなく、変化への柔軟な適応力なのだということを動物たちは教えてくれる。

 

僕達人間はどうだろうかと考えると、普段の生活に限って言えば、自然環境の変化が生活に大きく影響することは無い。でも、社会環境の変化への適応について言えば、まさに自分を変化させることが不可欠だと改めて感じる。年々、社会環境の変化のスピードは驚くほどに速くなってきている。そして社会環境の変化に伴って、その時代に生きる人々が必要としているものも、価値観も、どんどん変わっていっている。それこそ毎年と言っていいくらいに。

 

「変わらないことこそが尊い」という考えもあるとは思うけど、それは限られた狭い世界、つまり時代の変化が相当遅れて訪れるくらいに狭い世界の中しか見えていない考えだと思う。僕は写真で誰かに何かを届けたいと強く想い続けて色々と試行錯誤をしているけど、それは、「今の時代を生きる人々が求めているのは何か?」という問いを追求することでもある(お仕事をどういただくかという次元の話ではなくて、もっともっと大きい枠組みでの話です)。だからその時代に必要とされる写真を追い求めようとしているし、時代の変化とともに表現も変えていきたい。それは軸がブレるということではなく、時代を無視した独りよがりの作品作りはしたくないということ。時代が求めるものを、その時代の技術を使って写す。それが僕の役割の一つだと考えています。

 

そして...時代が何を求めているのかを知るにはどうすればいいか。それは、一人の人間の思考力や知識量ではたかが知れている。どれだけ様々な土地を巡り、どれだけの人と言葉を交わしたかにかかっている。

 

物理的な行動量>>>思考力・知識量

 

時代を感じることができるかどうか。それもやっぱり、物理的な行動量にかかっていると僕は信じています。

 

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大都会

去年あたりから、東京の夜の街並みもたまにですが撮るようになりました。

 

都会の良さって何だろうという話になったとき、便利だとか、モノが揃ってるだとか、遊べる場所が沢山あるだとか、多くの人がそう答えると思う。そうしたことももちろんだけど、僕が大都会東京っていいなと感じるのは「懐の深さ」。それは人の懐ではなくて、大都市空間そのものが持つ懐。ストリートで写真を撮り続けるうちにそう思うようになりました。

  

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自分が多数派に所属している時は気付かないけれど、何らかの点においてマイノリティ側に所属する人達は、どうしても自分の居場所を見つけられずに苦しむことも少なくないと思う。例えば、学校や会社などの集団にどうしてもうまく馴染めない人だったり、いじめを受けてしまった人だったり、家庭環境に恵まれなかった人、人には理解されにくい病気を抱えている人、性的マイノリティの人、海外からの人。他にも色々。

 

もしこうした人達が地方都市や田舎に住んだとしたら、かなり大変だと思う。地方都市や田舎は、大都会と比べると人が少ない分、地域の人と人とのつながりが強いという良さがあると良く言われる。けど、その良さがマイノリティに所属する人達には逆に辛いものになることもあると思う。中には村八分にあってしまうということもあるんじゃないかと想像します。統計で確認したわけじゃないけど、多分歴史が証明してるんじゃないかと思う。

  

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でも大都会は、マイノリティに所属する人達にも居場所を与えることができる懐の深さがあると思う。それは都会の人のほうが優しいとかそういうことではなくて、多様な人がそれこそ世界中から集まってきているから、自分の隣に自分とは異なる人がいても全く気にならないという大都会がもつ空気によるもの。例えば、都会はご近所付き合いが希薄だと言われたり、他人に関心を持たない人が多いと言われたりと、人と人とのつながりという意味ではネガティブに語られることが多い。けれど、マイノリティに所属する人達には、こうした都会のドライな空気は自分の居場所を見つける助けとなっていると思う。うまく書けないけど、都会は変に目立ってしまうことが地方や田舎よりも少ない。ドライだと言われる大都会が持つ雰囲気が、マイノリティの人達を優しく匿っている。マイノリティの人達の隠れ蓑になり、マイノリティの人達がうまく紛れ込める懐の深さを持っている(差別的な表現かもしれないけど、都会の雰囲気をうまく表すためにあえて使いました。どうか言葉尻を取らないで欲しいです)。

 

多様な人達、マイノリティに所属する人達をも匿い優しく包み込む。そんな大都市空間が持つ懐の深さをこれからも表現できたらと思います。

  

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名も無き創り手

この週末はクリスマスですね。

 

 

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至る所で本当に様々な趣向が凝らされた装飾が、街に華やかさを添えています。

 

 

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週末ともなると、街の装飾の前で記念撮影する人達も沢山。

 

 

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空の青や木々の緑など、そうした自然の色は冬場は薄れてしまいますが、その分、誰かの手による装飾が街に彩りを添える。

 

 

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僕はカメラマンということもあってか、そうした街の装飾を目にすると、いつも創り手の姿を想像します。どんな人が、どんな想いで作ったのだろうか、と。

 

 

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何人かの人達で「今年はどんなのにしようか」と何度も議論を重ねて制作したのかもしれない。

 

 

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強烈な個を持つリーダーがワンマンで指揮を執って制作したのかもしれない。

 

 

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もしかしたら、大した思い入れもなく、ルーティーンワークとしてこなしただけのものもあるのかもしれない。(たとえそうだったとしても、街ゆく人々を惹きつけている。)

 

 

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どれも僕の想像です。

 

 

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しかしいずれにせよ、街ゆく人々の目には、制作者の名前も、姿も映らない。制作物にかける想いも、耳にすることは決して無い。

 

 

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おそらくそれが当たり前のことなので、街ゆく人も「誰が作ったのかを知りたい」と思う人はいないだろうし、創り手も「自分(達)が作ったということを知ってもらいたい」とも思っていない。

 

 

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けど、誰かを惹きつけるものを創るというのは、本当に本当に難しいことだし、ものすごく大変だし、膨大な時間がかかる。なかなかできることじゃない。

 

 

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だから...名も無き創り手に光を当てたい。そう思うようになって撮り始めのが、仕事人シリーズ(「PROFESSIONAL」シリーズ)でした。

 

 

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それは肩書上プロかどうかなんて一切関係ありません。"プロ"なんて言葉は人によって定義が異なるし、全く意味を持たないただのお飾り的な単語に過ぎません。大切なのは、その人が手掛けたものが、誰かを楽しませているということです。(缶コーヒーのCMのコピーみたいですね笑)

 

 

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初めて撮った「PROFESSIONAL」シリーズの写真。それは、GWの子供の日を前に、誰もいない公園で鯉のぼりを設置している男性の写真でした。作業服を着てヘルメットをかぶり、梯子で木に登って鯉のぼりを幹にロープでくくりつけている姿。あの方がどんな想いで作業をしていたのかは分かりませんが、その姿がすごくかっこよかったのを今でもよく覚えています。

 

 

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そんな「PROFESSIONAL」シリーズ。2017年はあまり撮れなかったのですが、近々新しい写真を撮影してまいります。どうぞ楽しみにしていてください。

 

寒さの厳しい折、皆さまご自愛くださいませ。

 

 

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6.0

「どうすれば上達するだろうか。」

 

「次は何を試してみようか。」

 

「こうしてみるのが良いのかも知れない。」

 

何かに情熱を注いでいると、移動中や、休憩中にぼーっとしてる時でさえ、思考がぐるぐると自然に回り続けます。「今は休まないとまずい」と自分でブレーキをかけようとしても止められません。

 

情熱を形に変えるにはどうすれば良いか。まるで宇宙の果てを想像するときのように果てしない思考がぐるぐると回り続けます。ぐるぐると。そうした時は、脳が真っ赤に燃え上がるように莫大なエネルギーを使っているのを感じます。例え身体を動かしていなくても、消耗してしまうくらいに脳がエネルギーを消費しているのが分かります(なので僕は超甘党)。

 

思考がぐるぐる回って出てきた断片的なアイデアの破片達は、全く整理されていなくて、ぐちゃぐちゃの状態です。ぐちゃぐちゃ。なので自分でも何が何だか良くわからない状態になってしまっている。考えて考えて、考えることで疲弊してしまっているので、出てきたアイデアを整理するところまで思考を回せなくなってしまっている。

 

 

そんな日々を過ごしていると、床に就いた瞬間に、まるで渓谷に落下していくように意識が落ちていきます。

 

考えて考えて、それでも分からなくて、でもあとちょっとで答えにたどり着ける。薄い壁を隔てた向こう側は別世界が広がっている。もうあと一歩。おしいところまで来ている。そんな状態にまで迫ったときには、脳みそのぐちゃぐちゃ度もピークに達しているので特によく眠れます。

 

特に良く眠れている夜。そんな夜の明け方には、まるで現実のようなはっきりとした夢を見ることがあります。夢の中で自分はいつも通りカメラを携えている。けど、夢の中の自分は、今まで見たこともないような写真を撮っている。夢を見ている自分が、夢の中の自分による見たこともない表現を眺めていると、

 

「...!」


急に眠りから覚めます。不思議と夢の中で見たことははっきり覚えていて、それを実際に試してみると....

 

自分の表現が劇的な進化を遂げている。昨日の写真とは似て非なるものに変貌している。

 

 

 

 

人はなぜ夢を見るのか。

諸説あるようですが、そのメカニズムは記憶の整理だと言います。

 

考えて考えて考え抜いて、あと一歩というところにまで来た時、夢の中の自分が夢を見ている自分に答えを披露してくれる。こうした瞬間は、1年に1、2回ほど訪れます。最後に見たのは今年の1月。そして数え上げると、これまで計5回経験しました。5回の夢と5回の進化。なので僕の今の写真表現はバージョン6系です。

 

初めての1回目の夢を見た時は、「こんな偶然もあるんだな(笑)」と軽く考えていました。しかし、回を重ねるごとに、この夢は偶然の産物ではないのだということに気付きました。日々の思考の賜物なのだと。日々の思考が、眠りに就いている間に結晶化されるのだと。必然の産物なのだと。

 

脳が熱を帯びて真っ赤に燃え上がる。それくらいに考えて考えて考え抜いて、次の進化を手繰り寄せられるように。物凄く消耗するけど、そんな消耗がチャラになるくらいの進化をまた必ず遂げてみせます。

 

頑張ります。

 

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街を独り歩けば

「写真がうまくなるにはどうすればいいですか?」

 

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多くの方からこうしたご質問をいただきます。Instagramでは物足りなくて、一眼やミラーレスを買ったという方からアドバイスを求められることも本当に多くなりました。何かを上手くなりたいという熱意に、僕も刺激をいただいています。

 

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こんなとき、僕は「独りで撮影に出かけること」とお伝えしています。

 

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誰かと一緒に趣味を楽しむというのも確かに楽しいひとときにはなる。けれど、もう一段階上手くなりたいと思ったときには、独りカメラを携えて出かけることがとても大切です。

 

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誰かと一緒にいるときは、どうしたって相手に譲ってしまう。心優しい人ならなおさらに。それはそれで尊い時間だけれど、

 

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何に喜び、

何に怒り、

何に哀しみを覚え、

何に楽しみを感じるか。

 

どれも人によって違う。

 

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だからこそ、自分の感性を、感受性を誰に遠慮することもなく、誰に譲ることもなく100%出せる時間を作ることは、とても大切だと僕は考えます。

 

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ストイックになれとかそういう話ではありません。例えば、「旅行は一人旅に限る」、「映画は一人でレイトショーに行くに限る」という方も少なくないはずです。カフェで一人読書を楽しむことが好きだという方も多いことでしょう。それと全く同じ話です。

 

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協調性ばかりが求められる世の中ですが、僕は独りの時間を作ることが大事だと思います。誰にも見られていないときにこそ、本当の自分がいるからです。

 

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街を独り歩く。そんなときにこそ、本当の自分を表現できる。そう僕は思います。

 

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