6.0

「どうすれば上達するだろうか。」

 

「次は何を試してみようか。」

 

「こうしてみるのが良いのかも知れない。」

 

何かに情熱を注いでいると、移動中や、休憩中にぼーっとしてる時でさえ、思考がぐるぐると自然に回り続けます。「今は休まないとまずい」と自分でブレーキをかけようとしても止められません。

 

情熱を形に変えるにはどうすれば良いか。まるで宇宙の果てを想像するときのように果てしない思考がぐるぐると回り続けます。ぐるぐると。そうした時は、脳が真っ赤に燃え上がるように莫大なエネルギーを使っているのを感じます。例え身体を動かしていなくても、消耗してしまうくらいに脳がエネルギーを消費しているのが分かります(なので僕は超甘党)。

 

思考がぐるぐる回って出てきた断片的なアイデアの破片達は、全く整理されていなくて、ぐちゃぐちゃの状態です。ぐちゃぐちゃ。なので自分でも何が何だか良くわからない状態になってしまっている。考えて考えて、考えることで疲弊してしまっているので、出てきたアイデアを整理するところまで思考を回せなくなってしまっている。

 

 

そんな日々を過ごしていると、床に就いた瞬間に、まるで渓谷に落下していくように意識が落ちていきます。

 

考えて考えて、それでも分からなくて、でもあとちょっとで答えにたどり着ける。薄い壁を隔てた向こう側は別世界が広がっている。もうあと一歩。おしいところまで来ている。そんな状態にまで迫ったときには、脳みそのぐちゃぐちゃ度もピークに達しているので特によく眠れます。

 

特に良く眠れている夜。そんな夜の明け方には、まるで現実のようなはっきりとした夢を見ることがあります。夢の中で自分はいつも通りカメラを携えている。けど、夢の中の自分は、今まで見たこともないような写真を撮っている。夢を見ている自分が、夢の中の自分による見たこともない表現を眺めていると、

 

「...!」


急に眠りから覚めます。不思議と夢の中で見たことははっきり覚えていて、それを実際に試してみると....

 

自分の表現が劇的な進化を遂げている。昨日の写真とは似て非なるものに変貌している。

 

 

 

 

人はなぜ夢を見るのか。

諸説あるようですが、そのメカニズムは記憶の整理だと言います。

 

考えて考えて考え抜いて、あと一歩というところにまで来た時、夢の中の自分が夢を見ている自分に答えを披露してくれる。こうした瞬間は、1年に1、2回ほど訪れます。最後に見たのは今年の1月。そして数え上げると、これまで計5回経験しました。5回の夢と5回の進化。なので僕の今の写真表現はバージョン6系です。

 

初めての1回目の夢を見た時は、「こんな偶然もあるんだな(笑)」と軽く考えていました。しかし、回を重ねるごとに、この夢は偶然の産物ではないのだということに気付きました。日々の思考の賜物なのだと。日々の思考が、眠りに就いている間に結晶化されるのだと。必然の産物なのだと。

 

脳が熱を帯びて真っ赤に燃え上がる。それくらいに考えて考えて考え抜いて、次の進化を手繰り寄せられるように。物凄く消耗するけど、そんな消耗がチャラになるくらいの進化をまた必ず遂げてみせます。

 

頑張ります。

 

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街を独り歩けば

「写真がうまくなるにはどうすればいいですか?」

 

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多くの方からこうしたご質問をいただきます。Instagramでは物足りなくて、一眼やミラーレスを買ったという方からアドバイスを求められることも本当に多くなりました。何かを上手くなりたいという熱意に、僕も刺激をいただいています。

 

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こんなとき、僕は「独りで撮影に出かけること」とお伝えしています。

 

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誰かと一緒に趣味を楽しむというのも確かに楽しいひとときにはなる。けれど、もう一段階上手くなりたいと思ったときには、独りカメラを携えて出かけることがとても大切です。

 

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誰かと一緒にいるときは、どうしたって相手に譲ってしまう。心優しい人ならなおさらに。それはそれで尊い時間だけれど、

 

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何に喜び、

何に怒り、

何に哀しみを覚え、

何に楽しみを感じるか。

 

どれも人によって違う。

 

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だからこそ、自分の感性を、感受性を誰に遠慮することもなく、誰に譲ることもなく100%出せる時間を作ることは、とても大切だと僕は考えます。

 

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ストイックになれとかそういう話ではありません。例えば、「旅行は一人旅に限る」、「映画は一人でレイトショーに行くに限る」という方も少なくないはずです。カフェで一人読書を楽しむことが好きだという方も多いことでしょう。それと全く同じ話です。

 

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協調性ばかりが求められる世の中ですが、僕は独りの時間を作ることが大事だと思います。誰にも見られていないときにこそ、本当の自分がいるからです。

 

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街を独り歩く。そんなときにこそ、本当の自分を表現できる。そう僕は思います。

 

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我會去台灣喔

表現力を決定づけるものは何か。そう問われたら、人によって答えは様々だと思いますが、少なくとも今の僕は「移動距離」だと答えます。以前のエントリーでも触れた通り、自分とは異なる価値観や文化圏の人達と、どれだけ言葉を交わしたか。それが決定的に重要だと信じています。

 

裏を返せば、同じ場所に留まり、同じ人と接し続けている限りは、表現は絶対に深化しない。そうした状況は、少なくとも僕にとっては危機的な状況です。ホームグラウンドを持たない。持ってはいけない。それが僕の信条です。

 

そしてどんな人ともフラットに接すること。人種や国籍はもちろん、年齢、地位、経歴、過去の実績。履歴書に文字として起こせるこうした情報は、僕にとっては全く意味を持たないし、気にしたこともありません。むしろ人の本質を見る目を曇らせる余計な情報です。似たような経歴を持つ人は世の中に沢山いるしね。

 

しかし、こうした考えを持ちつつも、移動距離の少なさと、言葉を交わした人の少なさ(友達や知り合いを増やすとかそういう次元の話ではなく)は僕の大きな課題であり続けました。この課題を克服すべく、色々と体制を整えはじめたのが今年の年明けのこと。そして今月末、早速撮影の旅に行って参ります。

 

今回の旅先は台湾。日本人にとって定番の渡航先ですが、ストリートフォトグラファーにとっても台湾は理想郷。僕の目に映った異国情緒を沢山収めてこれたらと思います。

 

 

 

 


台湾に行こうと決めたものの、中国語はさっぱりだし、具体的な現地の情報は知らないし、現地の人たちの人柄や国民性も知らない。

 

そんな中、SNSで「教えてくださる方いませんか?」と投稿してみたところ…本当に多くの方々が協力してくださいました。

 

日本語と中国語の両方に堪能な方を紹介してくださったり、言葉を翻訳してくださったり、ネットには書かれていない生の現地情報を教えてくださったり。中には、日本との関係の歴史について教えてくださった方も。

 

感謝の気持ちとともに、皆さんワールドワイドで活動されていることに強い刺激を受けました。フォトグラファー広瀬、完全に出遅れております(笑)笑い事じゃないけど(笑)

 

中国語では、女性への褒め言葉は漂亮(ピャオリャン)、特に台湾では水(スイ)と言うそうです。以外に思われるかもしれませんが、思うところあって僕は人の容姿を褒めるということは絶対にしません。「綺麗な人だな」と心の中で思うことはあっても、それを言葉にすることは決してありません。よっぽどの理由が無い限りは。例え相手が女優さんであったとしても。しかし、異国の地のストリートという少し特殊な撮影となる今回に限っては、こうしたこだわりは捨てようと考えてます。自分のこだわりに反することに少しの罪悪感を覚えつつも、無節操だと思われたとしても、現地では笑顔とともに水水!と伝えて、その場が和めばいいなと思います。

 

 

台湾ストリート撮影。お届けできるのはしばらく先の事となりますが、どうぞ楽しみにしていてください。


Special Thanks to
声楽家 龍進一郎さん
ピアニスト 寺井真美子さん
いつもサポートしてくれる友人達へ

 

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種火

前回の続きです。

 

▼前回のエントリー

グルーヴを死なせない

 

「正しい技術」か、「心の声に従った表現」か。

 

僕が習っていたピアノを例に考えると、“発表会で良い成績を収める”、“ピアノで進学する”、“ピアノの先生になる”、“ピアノで食べていく”。そうした数年から数十年単位の中期的な目的を重視するならば、教科書的な“正しい技術”をしっかりと身につけることは最も重要なことの一つだったのでしょう。

 

しかし、もっともっと長い視点で一生を捉え、「自分にとっての豊かな一生を生き抜く」という最大の目的を考えるとどうでしょうか。セオリーに反してでも自分の心の声に従うこと、そして心の声を表現することを幼少期に養い育むことのほうが、指を動かす技術よりもはるかに大切だったのだと僕は思います。 

 

 

 

 

メディアを眺めていると、日々、華々しい活躍をしている人達の情報が流れています。そうした人達の多くは、幼少期から取り組んでいたことが花開き、今に至るのだと紹介されます(スポーツや文化活動は特に分かりやすい例でしょう)。早ければ1〜2歳の頃から、遅くとも10代後半には始めたものが、その人をその人たらしめているものにまでなっていると。

 

そうしたストーリーはとても素晴らしいし、否定するところは1ミリたりともない。また、そうした人達を目にする子供達にとっては、自分の将来を思い描くロールモデルとなることでしょう。

 

しかし現実に冷静に目を向けると、こうしたサクセスストーリーばかりが過度に浸透してしまうのは、危険を孕んでいると僕は感じます。なぜなら、幼少期から始めたものを成人して以降も続け、それを一生の生業とすることができる人は、ほんの一握りだからです。割合で言えば1%くらいでしょうか。もっと低いかもしれません。(だから現実を見て夢を諦めろとかそういう話ではありません)

 

世の中の大多数の人は、99%以上の人は、子供の頃に思い描いた自分とは異なる人生を歩んでいるはずです。僕もその99%の中の1人です。そして自分のライフワークとして一生情熱を注ぎたいと思えるものに出会うタイミングも人それぞれでしょう。早ければ20代の終わりの頃に転機が訪れる人もいれば、4・50代の時にという人もいるでしょう。引退した後という人も少なくないはずです。死期が間近に迫ったころからという人もいることでしょう。

 

自分が本当にやりたいと思えることに出会う時期は人それぞれ異なる。そして大多数の人にとっては、それは成人して以降になる。具体的にいつなのかは運の要素もかなり高く、自分ではコントロールできないことが多い。

 

感受性が豊かな幼少期に何を育むべきか。こうした現実を冷静になって捉えれば、目先の技術よりも、「何かをやってみたい」、「自分はこうしてみたい」と思う心を、感情を養うことのほうがはるかに大切だと僕は思います。例え理論や規則に反していたとしても。

 

もしそうした心や感情を持つことができれば、例え「向いてない」「面白いと思えない」「続けられない」と何かを辞めてしまったり、挫折したりしても、また別の何かに取り組み続ける中で、これだと思えるものにいつかはきっと出会えることでしょう。そしてその中で、自分らしさをきっと見出し、自分だけのグルーヴを生み出すことができるようになるでしょう。

 

逆に、心や感情を置き去りにしたまま、目先の技術の習得ばかりに目を向けてしまうと、もし何らかの理由で辞めたり諦めざるを得なくなったとき、路頭に迷ってしまう。それまでとは異なる別の何かに自分を見出すことが困難になってしまう。「何かをやってみたい」、「自分はこうしてみたい」という感情無しに技術ばかりを重視するのは、僕はギャンブルに近い(悪い意味で)と感じています。幼少期ならばなおさらに。

 

 

 

 

幼いころに習っていたピアノ。

 

楽譜の通りに忠実に弾くことを求められ、そこに窮屈さを感じていた僕は、最後まで楽しむことができずに辞めてしまいました。しかし、もし母や先生が、「まあ、正しくはないけど、そんな弾き方もありだよね」と僕の勝手な弾き方を笑って見守っていてくれたら状況は違っていたかもしれません。発表会で良い成績を収めることはできなかったとしても、ピアノを、楽器を、そして音楽を文字通り楽しみ、好きになることができたかもしれません。そしてもし好きになれていたとしたら、続ける過程でやがては自分の技術の無さを自ら思い知り、自らの意志で技術の向上に励むようになったかもしれません。「好き勝手に弾いているだけじゃダメだ。ちゃんとした技術を、基礎を、土台をしっかり身に付けないとダメだ」。そう自ら悟り、自らの意思で誰に言われなくても鍵盤と向き合うことができたかもしれません。仮定の話ばかりですけどね(笑)

 

その後も色々なものに取り組み、辞め、取り組み、辞めを繰り返してきました。文字だけで書くと落ち着きなくフラついているような印象に見えますが、一つ一つのことには数年単位で取り組み、取り組んでいる最中はどれももちろん全力でした。

 

そして出会った写真。ピアノと同じように、始めのうちはほとんど技術の研究をしないまま、ただただ撮りたいように撮る毎日でした。しかし、自分が真に表現したいものが次第に分かってくるにつれ、技術の無さが大きな壁となって目の前に立ちふさがるようになりました。技術の研究に励む日々が始まったのはそこからでした。カメラの操作や現像の方法を学ぶだけでは自分の理想に足りず、ダ・ヴィンチの作品を勉強したり、人間の視覚について勉強したりもしました。

 

誰に指示されたわけでもなく、誰に期待されたわけでもなく、ただただ自分の意思で自分だけの表現を追求し続けることができているのは、「何かをやってみたい」、「自分はこうしてみたい」という気持ちを殊の外大切にしてきたからだと思います。技術は後からいくらでも身につけられるものなので、あまり重要ではありません。

 

 

 

日々活動していると、少なくない方から、「自分が何をやりたいのか分からない」、「学校では勉強を頑張り、仕事でもそれなりの成果を出してきたけど、「何をやりたいの?」と聞かれると答えに窮してしまう」という相談を受けます。

 

そんな時僕は、「ほんの少しでも何かをやってみたいと思えた瞬間を大切にする」ということを伝えています。そうした瞬間というのは、心に小さな小さな、ちょっとの風が吹くだけで一瞬で消えてしまう種火が灯ったような瞬間です。自分の心の声に正直でいないと、種火が生まれたことに自分でも気付きません。あるいは、他人からの評価を気にしがちな人は、せっかく灯った種火を自らの息で吹き消してしまうことも少なくありません。しかし、種火が灯る瞬間というのは滅多に無く、とても尊い瞬間です。灯るかどうかは運の要素も相当に強い。だから、ちょっとでも「やってみようかな」と思えた瞬間が訪れたなら、自分の今のスキルのレベルなど気にせず、他人からどう見られるかなども一切気にせず、灯った種火を手のひらで包み込むように大切にする。こうしたことが自然とできるようになれば、誰しもが、いつか必ずその人をその人たらしめる何かと出会うことができると僕は信じています。(時間はかかるかもしれないけどね。)

 

そしてもし種火が長く灯り続けたならば、そこから技術の習得に励めばいい。もし途中で消えてしまったら、焦らずまた次に灯った瞬間を大切にすればいい。

 

技術は後からいくらでも身につけられる。人から教わることだってできる。でも、「何かをやってみたい」という心は、感情は一朝一夕では身につけられない。人から教わることもできないし、人に教えることもできない。本を読んで身につけられるものでもない。他の誰でもない自分の中で時間をかけて育てるしかないもの。だからこそ、目先の技術よりも、心を声に従うことのほうがはるかに大切で尊いもの。僕はそう考えます。

 

 

 

 

2017年もいよいよ年の瀬。

新しい作品をお届けすべく慌ただしい毎日です。

どうぞ皆さまも体調にはくれぐれもお気をつけて。

 

 

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グルーヴを死なせない

幼い頃、僕はピアノを習っていました。母がピアノが上手く、よく家のピアノで『トルコ行進曲』や『幻想即興曲』を弾いていました。母のお気に入りだったようです。家ではそんな母から直接指導を受けながら、隣町のピアノ教室に通っていました。

 

母の指導がストイックで厳しかったせいか、教室の中では僕はいつもセンター的なポジションを与えられていました。発表会では中央のグランドピアノで毎回先生と連弾したり。絶対音感も自然と身につき、耳コピで即興で当時流行っていた曲を弾けたり。幼かった頃の自慢です。

 

しかし、僕はピアノを好きだと思えたことはただの一度もありませんでした。というか嫌で嫌で仕方なかった(笑)なぜなら、譜面に書かれたリズムや強弱に忠実に従って弾くことに、常に疑問を感じていたからです。(ピアノや音楽を否定するものでは決してありません。僕の場合のお話です。)

 

例えば、僕は弾いている最中に気持ちがノってくると、段々と速く弾く癖がありました。つまり譜面で定められたリズムを守れなかった。そうすると母がメトロノーム(設定したリズムを刻む機械。リズム矯正器具)を用意し、一定のリズムを守らせようとしてくる。これが本当に苦痛でした。手枷足枷を付けられたようなあの感覚。「せっかく気持ちがノってきているのに、音になぜそれを乗せてはいけないんだ?気持ちがノってきているのに、なぜリズムは一定のままでいいんだ?」と疑問を感じていたからです。毎晩の練習の度に母とは険悪ムードになり、喧嘩が絶えませんでした(笑)

 

今当時を振り返ると、確かな技術、つまり音楽理論に則り、譜面通りに忠実に音を出す技術という意味においては、僕の技量は年齢を考慮しても未熟だったと思います。しかし、グルーヴを死なせない、グルーヴを生み出すという意味においては、やはり僕は間違っていなかったと思います。

 

機械のように正確に、忠実に何かを再現する技術。一方で、心の声に従い、例え理論や規則に反していたとしても、それを音に乗せて表現しようとする気持ち。この二つはもちろん二者択一ではありません。しかし、どちらが幼かった当時の自分にとって大切だったのかと改めて考えると…議論の分かれるところだと思いますが、僕はやはり後者だと断言できます。

 

続く

 

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いつかじゃなくて(後編)

前回の続きです。

 

▼前回のエントリー

いつかじゃなくて(前編)

 

タイムが伸びなくなった1,500m走。

 

僕の学校の場合は300mのトラックを5周する形でした。なので、その5周をどう走りきるかを各々で考えて取り組んでいました。

 

当時の僕の走り方はざっくり言うとこんな感じ。

 

・1〜2周目:周囲から離されないくらいのペースで走る

・3〜4周目:ペースを上げる

・5周目: ラストスパート

 

今振り返ると本当に恥ずかしい限りですが、後半に備えて前半は体力を温存する走り方をしていたわけです。つまり、全くリスクを取っていなかった。頑張ってはいるつもりでいたけれども、保守的で、攻めの走りをしていなかった。リスクを取らないところに成果は生まれない。絶対に。タイムが伸びなかったのも当然のことでした。しかし当時の自分は、こうした後半に備える走り方が最も望ましいと思っていた。思い込みというのは本当に恐ろしいものです。

 

一方で、「はじめからスパートをかけないと間に合わない」と教えてくれた同期の走り方はこんな感じ。

 

・1〜2周目:スパートをかける

・3〜5周目:ペースが落ちてくるところを何とか最後まで耐える

 

前半に体力を温存して後半にペースを上げても、目標タイムに間に合わせることはできない。始めからスパートをかけないと、スタミナを使い切らないままゴールしてしまう。そもそも、後からペースを上げ切るのは難しくて、前半に温存するよりも、始めからスパートをかけて身体を慣らしたほうが、5周目のラップタイムも速くなる。そんな考えに基づいた走りでした。ともすると後半パッタリと脚が止まってしまうリスクを取った走りです。

 

たったの1,500mという短い距離にもかかわらず、後先のことを考えて保守的な走りをしていた当時の自分。冷静に考えれば、タイムが伸びなくなったのは当たり前のことでした。アドバイスをもらった次の日から、早速自分の走りを真逆のものに変えてみたところ、また一段、タイムが向上しました。何よりも、5周目を走っているときの疾走感がより爽快なものになったのを今でもよく覚えています。

 

こうして走り方を変えたのが2年生のとき。3年生の春には、リスクの取り方にもさらに磨きがかかり、充実した走りをすることができるようになっていました。リスクを取りすぎて酸欠に陥り、呻き声をあげながらヨタヨタ教室に戻る日も増えたけど(笑)

 

 

 

 

「始めからスパートをかけないと間に合わない。」

 

写真を始めて以降、同期がくれたこのアドバイスをふと思い出すことがあります。

 

カメラを手にした日から、ひたすら撮って、ひたすら腕を磨く日々。そうした毎日を過ごしていると、できることがどんどん増えていく。できることがどんどん増えていくと、やりたいことがどんどん増えていく。そして...やりたいことがどんどん増えていくと、人生の短かさを強く思い知らされる。やりたいことが増えれば増えるほど、「全てをやりきるには人生は本当に短い」という思いが心の底から湧き上がってきます。(ちなみに心身ともに健康です。念のため。カメラマンは体力勝負なのです。)

 

それは決して、焦りの気持ちや、悲観的な気持ちとは違います。時間は限られているということ、限り有るものなんだということを素直に受け入れられるようになったということです。そして、素直に受け入れた上で、1,500m走と同じように短い一生をどんなふうに走り切りたいか。やりたいこと、そしてやらなければいけないこと(与えられた役務や義務という意味ではなく、自らの意思で行動する使命感にも似たようなこと)の数と、そしてそれらがこれからもどんどん増えていくであろうことを考えると、

 

「今からスパートをかけないと、やりきる前に人生が終わってしまう」

 

そう思わずにはいられません。

 

前半に体力を温存する保守的な作戦から、始めからスパートをかけるリスクを取った作戦に切り替えたときの高揚感。今でも当時のことを昨日のことのように覚えています。高2の春のあのときの高揚感が、写真を始めて以降、また自分の中に蘇ってきています。

 

どれだけの土地を巡り、どれだけの人達と巡り会えるか。どれだけシャッターを切り、人の心に残る作品をどれだけ届けることができるか。

 

そんなことを考えると、たとえ見切り発車だとしても、たとえ時期尚早だとしても、たとえ現時点ではうまくいかない可能性が高いと分かっていたとしても、今この瞬間に動かずにはいられません。

 

昨年は怪我の影響で積極的な活動がどうしても制限されてしまいましたが、体力が戻った今年の春からは、いつかやりたいと思っていたことにまたひとつひとつ着手しています。「いつか」ではなく、「今この瞬間」に着手しないと、限られた一生のなかで全てをやりきるには間に合わない。そうした思いが、また日に日に強くなってきています。

 

歴史に名を連ねる画家や彫刻家の多くが、若い頃から人生の有限感を受け入れていたそうです。

 

駆け抜けます。

 

沢山の土地を巡り、沢山の人々と言葉を交わせるように。

 

 

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いつかじゃなくて(前編)

高校時代のこと。僕は男子校に通っていました。(埼玉出身なのですが、何故か埼玉県は男子校・女子校が多い。)男子校ということもあってか、運動系の部活動がものすごく盛んで、インターハイ常連の部活が多い学校でした。僕はバスケ部だったのですが、僕が3年生の時に初めてインターハイに出て以降、長きに渡り常連校となったようです。そもそもその学校を受験しようと思ったのも、バスケ部が強いから、という理由でした。(僕自身は最後までレギュラー入りすることはできなかったのだけれど。)

 

そんなアスリート系の生徒も多く集まる学校だったので、体育の授業も本気でした。先生も、そして僕ら生徒も。そんな体育の授業の中でも、僕が毎年もっとも集中力を高めて、本気中の本気で臨んでいたのが1,500m走。毎年の春に、おそらくどの学校でも実施される体力測定(スポーツテスト)の中の、あの心臓破りの種目です。

 

僕の学校では、体力測定の中でも何故か1,500m走にだけ独自のルールが敷かれていました。それは、「クラスの平均タイムが同学年男子の全国平均マイナス30秒(空覚えだけど確か)を切るまで終わらない」というもの。クラスによっては2、3回で終えられるクラスもあれば、10回以上やっても終わらないクラスもありました。クラスの平均が特定のタイムを上回らないといけないので、スタミナ自慢の生徒も、そうでない生徒も、一人ひとりのタイムの向上が必須でした。頑張れば頑張っただけタイムが縮むのは、分かりやすくてやりがいを感じていたので、僕も毎回相当な集中力で臨んでいました(その日の以降の授業はもちろんぐっすり)。

 

思い出深いのは、2年生の時の1,500m走。1年生の時以上に、毎回タイムが縮まるのが楽しくて、「クラスの平均がクラスの目標タイムを上回ってしまう(つまり次のカリキュラムに移ってしまう)前に、もっと個人タイムを縮めたい」と毎回意気込んでいました。

 

一般的に心肺機能は短期間で集中的に高められるものなので、僕も回を重ねるごとにグングンタイムを伸ばしていったのですが...ある時を境に伸ばせなくなりました。歯を食いしばって毎回頑張ってはいる。けど伸びない。ちょっとした壁にぶつかった感じでした。

 

僕は陸上競技については全く知識がなかったので、頑張るといっても、本当にただただ苦しくても頑張っているだけでした。つまり作戦や戦略がなかった。タイムが伸びなくなって、「ただ頑張るだけじゃなくて、何かコツだとか、しっかりとした作戦を立てなきゃダメだ」と感じた僕は、僕よりも速い同期にアドバイスを求めるようになりました。

 

色々な人から色々なアドバイスをもらう。その中でも、もっとも僕のタイムを伸ばしてくれたアドバイスをくれたのが、同じバスケ部でいつも一緒に頑張っていた同期の友人でした。

 

彼はバスケの実力も体格も僕と近かったので、練習でも試合でも、よくペアを組んでいました。二人ともウィンガー的なポジション(スラムダンクで言うところの流川や三井のポジション)だったので、僕が右サイドを走れば彼が左を、彼が右なら僕が左を。「はじめ俺右ね」「じゃ俺左」。「今日俺基本左やらせて」「じゃ俺右」。試合前にそんな言葉を交わす間柄でした。特に仲が良かったわけではない(ライバルだったので)のですが、常に逆サイドにいるお互いでアイコンタクトを取り合い、交わす言葉は少なかったのですが息はぴったりでした。

 

チームを引っ張るリーダーシップや、周囲への影響力なども含めての総合的な実力は僕のほうが上(ちょっとだけね)だったのですが、身体能力は彼のほうが明らかに上。1,500m走も僕よりもはるかに速かった。

 

そんな彼がくれたアドバイスというのが、

 

「はじめからスパートをかけないと間に合わない」

 

というものでした。

 

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