小さな変化、一日ひとつ

こんばんは。

 

写真を始めたのが多くのカメラマンよりも遅かった僕は、毎日焦る気持ちを抑えながら自分の写真に向き合っています。「焦りは禁物だけど、でも早く追いつかなくては...」と。

 

常に焦る気持ちに苛まれているそんな僕が心がけていることがあります。

 

それは、一日ひとつ、変化するということ。たった一つでいいから、そしてどんなに小さなことでもいいから。

 

変化が必ずしも進化に繋がるとは限らないし、退化に繋がることもある。けれども、変化無くして成長無し。成長の源泉である自分の中の小さな変化を日々実感し、そうした毎日をコツコツと積み重ねていけば、焦る気持ちに苛まれることなく、表現の追求に集中できるようになるはず。そう考えて、いつの頃からか、小さな変化をすることが日課のようになりました。

 

小さな変化。多くは写真表現の技術的な変化ですが、時には表現のコンセプトだったり、フォトグラファーとしての精神性の部分だったり。とにかくどんな小さなことでも良いから、昨日の自分とは違う今日の自分、今日の自分とは違う明日の自分になれるように心がけています。その積み重ねがきっと、やがては大きな大きな開花に繋がると信じて。

 

 

最近また少し写真の表現を変えてみました。

 

以前は自分の中では絶対的な悪としていた要素があって、それをいかに抑えるかということをこれまでかなり重要視していました。かなり細かい技術的なことなので文章にすると長くなってしまうのですが、ビールやワイン、コーヒーなどの飲み物における苦味や渋みのようなもの(これらは悪ではないので正確な例えではないのですが、なんとなくのイメージとして)。それをいかに取り除き、クリアで淀みのない高純度の写真を撮るかということに主眼を置いていました。

 

しかし最近気付いたのは、そうした苦味や渋みのようなものをほんの僅か加えることで、もともと追求していた高純度な表現がより際立つということ。一般的には悪とされるものをあえて一定の割合で加えることで、全体の調和が取れ、より洗練されたものになるということ。

 

世の中を見渡せば、純度の高いものに対して経済的な価値が見出されていることが多いと思います。それは希少性が高いからでしょう(ペットや貴金属など)。そして何か別の要素が混じっていると、経済的価値観からするとそれはネガティブなこととして捉えられる場合が多いのではないでしょうか。

 

しかし、生き物も含め、個体が有する本質的な強さと靭やかさは、対極の位置にある要素が最適なバランスで調和してこそ生まれる。裏を返せば、単一の要素だけで構成されたものはとても脆い。そうした自然の理のようなものは、写真の表現においても同じなのかもしれないな、とそんなことを思いました。

 

 

小さな変化を一日ひとつ。

 

そんなことをコツコツと積み上げていった先で、星の数ほどの技が高い圧力で封じ込められたような、そんな作品をいつか撮れるようになれたらと思います。