悔しさ真正面

こんばんは。

 

来月からまたしばらく文章を書く時間を持てなくなってしまいそうなので、時間を持てる今のうちに記事を書いておこうと思います。気持ちの整理のためにも。

 

 

一年ほど前から、ある日常的なことを苦しく、そして辛く感じるようになりました。それはインターネットやSNSを見ること。と言っても、いわゆるSNS疲れといった類のものではありません。僕は情報リテラシーは比較的高いほうだと思っているので、適度なバランス感覚でインターネットやSNSと接することができていると思います。

 

何を苦しく、そして辛く感じるようになったのかというと、写真を見ること。ネット上の様々なwebサイトや、SNSにアップされる写真を見るのがとても苦しく感じるようになりました。

 

世界には星の数ほどのフォトグラファーがいて、皆がそれぞれ個性豊かな写真を手がけている。そうした写真の数々を見るのが、以前はとても楽しかったし、そうした写真を見たくてネットやSNSを開いていました。

 

でも一年ほど前からは、段々とそれが苦しいものに。そして苦しくなってしまった理由は、悔しいからなのだと最近になって気付きました。

 

技術、経験、実績。何もかも自分よりも優れている個性溢れる世界中の先輩フォトグラファー達。以前はそうした方々の写真を、単純な憧れの気持ちで楽しく観賞していました。「自分もいつかこんな写真が撮れるようになれたらな」と。

 

しかしここ最近は、そうした憧れる気持ちは一切なくなり、ただただ悔しさだけが焦燥感とともに気持ちを支配するのみとなりました。「自分にだってきっと出来るはずだ」と。

 

昔のフォトグラファーにとっては、作品を観てもらう手段といえば、紙媒体や個展がメインでした。しかし現代のフォトグラファーにとっては、インターネットやSNSが主戦場。僕が感じるようになった悔しさは、試合に出れずにベンチからライバルの活躍を見つめるしか無い控え選手のそれと同じなのだと思います。

 

でも...そんな悔しさを以前にも増して感じるようになったのも、先輩フォトグラファー方の凄さが以前にも増して分かるようになったのも、自分の成長の証。そこにまた新たな一筋の光を見出しています。

 

そして、「見るのが苦しい」と言っても、「見たくない」という訳では決してありません。個性的な写真を見るたびに、悔しさと焦りで感情がいっぱいになってしまいますが、そこから目を逸らしてはいけない。悔しさを真正面から受けとめ、そしてその悔しさを薪に変えて、自分の中の篝火に一本また一本とくべていきたい。そんなふうに思います。

 

頑張ります。

 

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