小さな撹乱

先日、夏の終わり頃に予定している作品撮りの練習をしてきました。以前の↓のエントリーで触れた撮影の練習です。

 

最後のピース

 

本番で使おうと思っている場所の下見。そして使おうと思っている機材のテスト。唯一本番と異なるのは、写っているモデルさんが違うだけ。今回は友達にお願いして、「どこにも公開しない」という約束のもとで練習台になってもらいました。

 

振り返ると、練習という位置付けで写真を撮ったのは今回が初めてかもしれません。それは決して僕が練習嫌いというわけでありません。「どこかの誰かが必ず見てくれるはず」。どんな写真を撮るときも僕はそう信じてシャッターを切っています。だからこそ、誰の目にも触れないことが始めから決まっていた今回の撮影は、少し不思議な感じがしました。

 

しかし今回の練習は、もちろん、本番で良い写真を撮るためのもの。改善点がいくつも見つかり、収穫の多い練習となりました。もうあと1回くらい練習の撮影を設けて、本番に備えたいと思います。

 

 

今回のような、いただいたお仕事ではない写真を撮っていると、良く、「何でそんなことをやってるの?」「そんなことをやって何にかになるの?」と聞かれます。中には、「意味あるの?」とストレートに言葉をぶつけてくる人も。

 

こうした言葉をかけられることは、写真を始めてからというもの日常茶飯事なので、いつも適当にはぐらかして終わるのですが、特に理由なんてありません。ただ撮りたいから撮る。それだけです。

 

そして活動(事業)という視点にもとづけば、確実に言えることがあります。それは、何らかの成果に繋がるまでには時間がかかるということ。

 

 

僕には目標にしているあるフォトグラファーがいます。独自の世界観で多くの作品を手掛ける凄腕のフォトグラファーで、彼が新しい作品をSNSにアップすると、世界中から多くの反応がよせられます。僕自身も、彼のSNSが更新されるのをいつも心待ちにしている一人です。

 

しかし、彼の初期の頃の作品ページを見ると、ほとんど観てくれる人がいない状態だったことが伺えます。作品のクオリティも、本当に駆け出しの頃だったことが見て取れる。でも、根底に流れる彼の感性は、多くのファンを抱える今とまったく変わっていない。初期の頃から一貫した想いがあって活動していたことが写真を通じて伝わってきます。そして、彼の想いに技術が追いついてきた頃を境に、彼の写真に魅せられた人が国境を跨いで増えていったことが分かります。そうした状態になるまで、数年の歳月を要したようです。

 

「これほどまでに凄いフォトグラファーでも、長い長い下積みの時代があったんだな」。彼の初期の作品を見る度に、そんなことを思わせてくれます。

 

洗練された彼の今の作品も、誰の目にも留まっていなかった初期の作品も、どちらも僕は大好きです。

 

 

秋に予定してる作品制作。

それを無事に撮り終えることができたとしても、それがすぐに何かに繋がるということはおそらく無いでしょう。

 

でも、たとえどんなに小さな動きであったとしても、それが小さなうねりのようなものを生み出し、それがめぐりにめぐって、やがては形のある何かになって自分のもとに帰ってきてくれる。僕はそう固く信じています。精神論ではなく、これまで活動を続けてきた中で、経験を通じて理解した教訓です。「あの時のあの一枚」。それがきっかけとなり、新しいチャンスをいただけたことがこれまで何度もありました。振り返れば、むしろそうしたことがほとんどだったように思います。

 

何が起きるかなんて分からない。誰にも、自分にも。そして、この先誰がいつどこで自分の写真を見てくれることになるかも分からない。そんな中で今の自分にできることは、小さなうねりを起こし続けること。それ以外に無いように思います。

 

そしてこの先のどこかで、自分の写真に興味を持って下さった方が目の前に現れてくれた時に、自分の世界観を投影した作品をすぐに見ていただける状態にしておきたい。いつだって刀は抜けるということを、気に留めて下さった方に伝えられるかどうか。とても大切なことです。

 

先を見据えつつ、今の自分にできることをひとつひとつ積み重ねていきたいと思います。

 

teaser shot

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